江戸時代の本とお金です                
 その1「算法新書」
  文政13(1830)年に出版された数学書「算法新書」 です。全5巻分を合本したもので、厚さが5cmもあります。神保町の古書店で購入しました。
  総理というのは監修者でしょうか。長谷川寛(はせがわひろし・1782―1838)は、関孝和の流派(関流)から独立して江戸・神田鍋町で「数学道場」を開いた、当時超一流の和算家です。門下には、越後・水原出身の遊歴算家として有名な山口和(1781?―1850)などがいます。本書の序文として、山口の一文も掲載されています。

編者の千葉胤秀(ちばたねひで・1775−1849)は、一関市出身の和算家で、東北地方で3000人の弟子を抱えて活躍していましたが、仙台を訪れた山口和と会い、その弟子となりました。その後、山口のすすめで江戸に上り、長谷川の門下に入りました。一関市博物館にもこの本と同じものが展示されています。 

鳴海風「江戸の天才数学者」のよれば、この本は明治10年代まで続くベストセラーになりましたが、秘密主義的傾向にあった関流の奥義を載せてしまったため、長谷川は関流を破門されたとの説もあるそうです。
  「千葉胤英蔵書」の印が押してあります。胤英(たねふさ・1810−1883)は胤秀の次男だそうです。やはり数学者です。 
  文章は漢文と崩し字でなかなか読めませんが、いろいろな図形が載っていて、眺めているだけで楽しくなります。
  円周率の記載が見られます。

「直径1寸の円の周は何程と問う。答えていわく、3寸141592653689793238462643383有奇(はんぱあり)」 
 

その2「新編塵劫記」
 
  元禄10(1697)年に刊行された「新編塵劫記(じんこうき)」です。 こちらも神保町の古書店で購入しました。

著者は和算の祖と言われる吉田光由です。最初の塵劫記が出たのが1627年。その後、光由の死後に至るまで再版が繰り返されました。この本もそのひとつです。

江戸時代は殿様から庶民の子どもたちまで、こぞって数学に親しんだ時代です。「塵劫記」は、井原西鶴や十返舎一九をも凌ぐベストセラーだったそうです。
   表紙はこのとおり。すっかり破損しています。表紙の下の台紙は、使用済みの紙をリサイクルしているのがわかります。
   円の面積の求め方を解説しています。
  ねずみ算の問題です。
正月に親ねずみの夫婦が12匹のねずみを生む(オス、メス同数)。次の月には親ねずみと子ねずみのつがいがそれぞれ12匹を生む。同様にして毎月生んでゆくと年末には何匹になっているか。

答 276億8257万4402匹。

西洋数学にも、フィボナッチ数列を導く問題として、似たような問題があります。
   右下の米俵の図は、俵杉算(たわらすぎざん)の問題です。
   有名な継子立て(ままこだて)です。先妻と後妻の相続争いを数学の問題にしたものです。
 
その3 天保通宝・寛永通宝
 
  江戸時代の貨幣です。こちらはなぜか親の遺品から出てきました。

左が天保通宝、真ん中が寛永通宝の1文銭、右が寛永通宝の4文銭です。

コインショップに行けば売っていますから、それほど珍しいものではありませんが…
 
 
  裏面です。4文銭は波模様があるので、「波銭」とも呼ばれたそうです。

天保通宝は「当百」と彫ってあり、100文相当ということですが、実際には80文程度でしか通用しなかったそうです。そのため、思考力の足りない人のことを「天保銭」と呼んだとか…。

1文の価値は時代によっても違うのでしょうが、落語「時そば」では、そば1杯が16文。「二八そば」とは、2×8=16からとの説も。